そんなに長生きしたくない

重症アトピー&介護経験ありで地方住み実家暮らしの40代独身・微収入フリーター。
長生きしたくないけど少ない収入からこつこつ貯金……のはずが現在ソシャゲの最推しに課金中。
趣味はアニメと漫画と小説と映画と神社仏閣・美術館巡り、遠征にも行きたい。

『理想の自分にはなれなかったけど、理想の自分に近づくことはできるよ』

今月も月一参りに行きました

月一、とは言うものの、
月によっては2回3回と神社仏閣に参拝に行くこともあります。
今月は初盆もあったので、
お盆頃にもお寺に参拝したりしていました。


何だかあちこちにたくさんお参りに行った気がするのですが、
仏様ばかりでなく神様にもご挨拶してこなくてはね、と、
恒例の月一参りにも出掛けることにしたのです。


道中、時々何かがふと思い浮かぶ

まずは近所のお寺にご挨拶し、
運転中等々の無事をお願いしてから山の神社に出発。


山の神社までは車で45分ほど掛かるのですが、
しばらく運転していると、時々、
頭の中にふわっと何かが浮かんでくることがあります。


それは言葉だったり思考だったりと、
その時その時によって違っていて。


以前は、気になっていた時事問題についての思考が、
どういうわけか運転中にとめどなく溢れてきて、
「私、なんで今、この問題について延々考えているのだろう……?」
ってな感じで、自分でも不思議な気持ちになったりしました。


妙に気になったので、お山の神社ではその問題について、
自分なりに納得&解決できるようお願いすることに。
今は少し、その問題から離れることができていて、
心の安寧を保つこともできているような? って感じになっています。


そして今回。
運転中に何故かふと、


『理想の自分にはなれなかったけど、
 理想の自分に近づくことはできるよ』

という言葉が頭の中に浮かんできたのです。


人生が虚しく苦しいばかりでつらい

今回の月一参りに出掛ける数日前から、
自分の人生に虚しさとか、将来への強い不安とかを感じて、
またちょっと(かなり?)気分が落ち込んでいました。


私の頭の中には、
「病気のせいで働くこともできなかった」
「認知症老人の見守り介護はつらかった」
「やりたいことなんて何もできなかった」
「夢も叶わなかった」
「体がつらくて旅行もできない」
「食べたいものがほとんど食べられない」
「やりたいと思うことがどんどんなくなっていった」
「もう自分にできることなんて何もなくなった」
「この先もっと悪くなっていく想像しかできない」
という負の思考が渦巻いている状態で。


それでも30代の頃はまだ、
「病気を治してあれもやろう、これもやろう」
という前向きな気持ちがあったんですよね。


けれども、食事制限が厳しくなり、それでも体調は完全には改善せず。
アラフォーも後半になりアラフィフに差し掛かってくると、
やりたかったこと、
なりたかった自分に「✖(バツ)」がどんどんついていって。
今からじゃ、もう何もできる気がしないなぁってなってしまって。


運転中にそのことをつらつらと考えていたところ、先程の
『理想の自分にはなれなかったけど、理想の自分に近づくことはできるよ』
という言葉が、どこからかふとやってきたのでした。


びっくりしたし、何故だか嬉しいと感じる言葉ではあったけど、
でも、実際はそうでもないんじゃないかな……?
という疑問も湧いてきたりもして。
なんというかこう、色々素直に信じられなくなっている自分がいます^^;


「理想の自分」ってなんだろう

っていうかそういえば、
あんまりちゃんと考えたことがありませんでしたが、
「理想の自分ってそもそも何ぞや?」ってなりました。


しいて言えば、
「いつも生き生きとしていて楽しい自分(ざっくり)」なのかな……。


それとも、
「あちこちを旅行して美味しいものをたくさん食べている自分」?
「キャンピングカーで全国のミュージアム巡りをしている自分」??
「1億円くらいのお金があって将来の金銭的不安がない自分」かも ……???


うーん、どれもやりたいことだったり、
そうだったらいいなぁって感じではあるけれども、
実は私、病気がひどくなる前から普通に出不精インドア派だし、
本を読んだりアニメ見たり推しゲーしてるほうが好きだったり。


それこそ大昔は、声優さんになりたいとか(無理)
小説家になりたいなんて夢も持っていたけれど、
書きたいことがひとつもないのだからなれるわけもなし。


考えれば考えるほど「理想の自分」が何なのか分からなくなる。
分からないものにどう近付けばいいんだろう……


分からないまま、とりとめもなく今日のブログは終わります。

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