『理想の自分にはなれなかったけど、理想の自分に近づくことはできるよ』
今月も月一参りに行きました
月一、とは言うものの、
月によっては2回3回と神社仏閣に参拝に行くこともあります。
今月は初盆もあったので、
お盆頃にもお寺に参拝したりしていました。
何だかあちこちにたくさんお参りに行った気がするのですが、
仏様ばかりでなく神様にもご挨拶してこなくてはね、と、
恒例の月一参りにも出掛けることにしたのです。
道中、時々何かがふと思い浮かぶ
まずは近所のお寺にご挨拶し、
運転中等々の無事をお願いしてから山の神社に出発。
山の神社までは車で45分ほど掛かるのですが、
しばらく運転していると、時々、
頭の中にふわっと何かが浮かんでくることがあります。
それは言葉だったり思考だったりと、
その時その時によって違っていて。
以前は、気になっていた時事問題についての思考が、
どういうわけか運転中にとめどなく溢れてきて、
「私、なんで今、この問題について延々考えているのだろう……?」
ってな感じで、自分でも不思議な気持ちになったりしました。
妙に気になったので、お山の神社ではその問題について、
自分なりに納得&解決できるようお願いすることに。
今は少し、その問題から離れることができていて、
心の安寧を保つこともできているような? って感じになっています。
そして今回。
運転中に何故かふと、
『理想の自分にはなれなかったけど、
理想の自分に近づくことはできるよ』
という言葉が頭の中に浮かんできたのです。
人生が虚しく苦しいばかりでつらい
今回の月一参りに出掛ける数日前から、
自分の人生に虚しさとか、将来への強い不安とかを感じて、
またちょっと(かなり?)気分が落ち込んでいました。
私の頭の中には、
「病気のせいで働くこともできなかった」
「認知症老人の見守り介護はつらかった」
「やりたいことなんて何もできなかった」
「夢も叶わなかった」
「体がつらくて旅行もできない」
「食べたいものがほとんど食べられない」
「やりたいと思うことがどんどんなくなっていった」
「もう自分にできることなんて何もなくなった」
「この先もっと悪くなっていく想像しかできない」
という負の思考が渦巻いている状態で。
それでも30代の頃はまだ、
「病気を治してあれもやろう、これもやろう」
という前向きな気持ちがあったんですよね。
けれども、食事制限が厳しくなり、それでも体調は完全には改善せず。
アラフォーも後半になりアラフィフに差し掛かってくると、
やりたかったこと、
なりたかった自分に「✖(バツ)」がどんどんついていって。
今からじゃ、もう何もできる気がしないなぁってなってしまって。
運転中にそのことをつらつらと考えていたところ、先程の
『理想の自分にはなれなかったけど、理想の自分に近づくことはできるよ』
という言葉が、どこからかふとやってきたのでした。
びっくりしたし、何故だか嬉しいと感じる言葉ではあったけど、
でも、実際はそうでもないんじゃないかな……?
という疑問も湧いてきたりもして。
なんというかこう、色々素直に信じられなくなっている自分がいます^^;
「理想の自分」ってなんだろう
っていうかそういえば、
あんまりちゃんと考えたことがありませんでしたが、
「理想の自分ってそもそも何ぞや?」ってなりました。
しいて言えば、
「いつも生き生きとしていて楽しい自分(ざっくり)」なのかな……。
それとも、
「あちこちを旅行して美味しいものをたくさん食べている自分」?
「キャンピングカーで全国のミュージアム巡りをしている自分」??
「1億円くらいのお金があって将来の金銭的不安がない自分」かも ……???
うーん、どれもやりたいことだったり、
そうだったらいいなぁって感じではあるけれども、
実は私、病気がひどくなる前から普通に出不精インドア派だし、
本を読んだりアニメ見たり推しゲーしてるほうが好きだったり。
それこそ大昔は、声優さんになりたいとか(無理)
小説家になりたいなんて夢も持っていたけれど、
書きたいことがひとつもないのだからなれるわけもなし。
考えれば考えるほど「理想の自分」が何なのか分からなくなる。
分からないものにどう近付けばいいんだろう……
分からないまま、とりとめもなく今日のブログは終わります。