そんなに長生きしたくない

重症アトピー&介護経験ありで地方住み実家暮らしの40代独身・微収入フリーター。
長生きしたくないけど少ない収入からこつこつ貯金……のはずが現在ソシャゲの最推しに課金中。
趣味はアニメと漫画と小説と映画と神社仏閣・美術館巡り、遠征にも行きたい。

父の実家のお墓参り&神社参り

お盆なのでお墓参りに行ってきました

いつもは7月の新盆あたりにお墓参りに行くのですが、
今年は祖母の四十九日があったため、
8月の旧盆前に行くことになりました。


高速に乗って、隣のさらに隣の県の山奥まで行くので、
お墓参りは毎年一日仕事です。


途中、隣県に住む伯母宅に寄ってピックアップ。
10年以上前に連れ合いである伯父が亡くなってからは、
こちらも毎年の恒例です。


村のお寺にはもう僧侶がいません

私がまだ小さい子どもだった時には、
父の実家がある田舎のお寺にもお坊さんがいらしたそうです。


お坊さんが亡くなってからは、
奥さんが尼僧となってお寺のお仕事を引き継いでいましたが、
その尼僧さんも私が成人後、しばらくしていらっしゃらなくなり。
今は近所の人たちがお寺のお世話をしています。


尼僧さんが元気にお寺の仕事をなさっていた頃は、
お墓参りのあと、必ずお堂でお経をあげてもらって、
その場でお茶とおやつをいただきながら、
伯父や伯母、いとこたちとまったり過ごしていました。


クーラーやエアコンなんてないお堂の中でしたが、
風がよく通って、いつも涼しかったのを覚えています。


毎年知らない苗字のお墓にもお参り

尼僧さんがいなくなってから、
少し高台になったところに移されたお墓にお参りです。


いつも、うちの苗字が書かれているお墓の他に、
別の苗字が彫り込まれたお墓にもお参りするのですが、
今年初めてその理由を聞きました。


苗字が違うのは、今年亡くなった祖母の、お姉さんの嫁ぎ先の苗字だから。
お姉さんは男の子を生んでしばらくして亡くなってしまい、
祖母がその男の子の母親代わりになって育てたそうです。


その人は祖母の実子である父や伯母とは大分年が離れていて、
物心ついた頃には大阪に出稼ぎに行っていたとのこと。
優しい、いわゆる「イイ男」で、伯母は子ども心に大好きだったそう。
ところが若いうちに病気になり、亡くなってしまいました。


祖母の姉が嫁いだ親戚宅にはもう後妻さんがいたのか、
男の子であっても、もう跡継ぎという立場ではなかったのか、
その人が病気になっても親戚はあまりお金を出してはくれず、
良い治療が受けられないまま命を落とすことになったのだそうです。


っていうかこの話、
通夜・葬式で飛び交う色々な話』でも書いたのですが、
その甥っ子さんとこのお墓の中の人とが全然繋がっていなくて。
それで、苗字は違うけれど毎年お墓参りするのかと、
私はアラフォーになってからやっと知ったのでした。


祖母は本当に大変だったと思う

祖母は若いうちに頼りにしていたお兄さんを亡くし、
お姉さんも亡くし、お婿に来てくれた夫も亡くし、
母親代わりになって育てた甥っ子も亡くして、
本当に大変だっただろうなと思います。


あの時代、成人男性がいない家というのはどんな扱いだったのか、
想像するしかありませんが……当然、経済的にもかなり厳しかったようです。


父の姉である伯母は当時、看護科のある高校に進学しましたが、
祖母は働きながら高校に行けるということを知らなかったため進学を許さず、
伯母は土下座して「学校に通わせてください」とお願いしたそうです。


祖母に関しては、毎回知らない話がどんどん出てきます。
よく「どんな人でも、その人生で1冊は本が書ける」なんて言いますが、
祖母の人生はなかなかの大作になるだろうと思ってしまいます。


それに比べて、私の人生のなんと薄いことか……
祖母の人生が上下2巻の分厚いハードカバーなら、
私のは駅の売店で売っているペーパーバッグよりもぺらっぺらですね……。


村の神社にお参り

今回のお墓参りには、もうひとつ目的があって、
それが村社へのお参りでした。


祖母がまだ元気だった頃、
一度だけ、2人並んで一緒にお参りした神社です。


その時、心の中で「来年も来ます」と言ったにも関わらず、
お墓参りに来ても雨が降っていたり暑すぎたりして、
いつも「寄っていって」と言い出せなくて、
その後、何年も再度のお参りができていなかったのです。


本当は祖母が存命のうちに参拝したかったのですが……。
約束を守れなかったことを謝罪するのと同時に、
ずっと入院したままの祖母が安らかであることを、
祖母を子どもの頃から知っているであろう村社の神様に祈りたかった。


結局、祖母が亡くなってからの参拝になりましたが、
カンカン照りだったにも関わらず拝殿の前は不思議とひんやり涼しくて、
お参りを終えるととてもスッキリした気持ちになりました。


その村社、今は締め切られて人の気配もありませんが、
昔は拝殿の戸が常に開け放たれていて、
父や伯母も含め、村の子どもたちが毎日遊びに行っていた場所だそう。
壁をよじ上っては屋根裏に入ったりと、とても楽しい遊び場だったのだとか。
そこでも、父や伯母から色々と昔の話を聞けて楽しかったです。


恒例のソースかつ丼

というわけで、お昼過ぎにお墓参りと村社参拝を終えて、
山を下り町のほうへ。


お墓参りのあとは、名物のソースかつ丼をみんなで食べます。
普段、遠く離れた別の県に住んでいるので、
最高に美味しいソースかつ丼が食べられるのはこの時だけ。
ほぼ年一です。


近々、墓じまいをする予定ではいるのですが、
お墓がなくなってしまうと、
このソースかつ丼が食べられなくなってしまうのが唯一の心残り。


あと何回、ソースかつ丼が食べられるのかな。
ついつい、指折り数えてしまいます。

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