そんなに長生きしたくない

重症アトピー&介護経験ありで地方住み実家暮らしの40代独身・微収入フリーター。
長生きしたくないけど少ない収入からこつこつ貯金……のはずが現在ソシャゲの最推しに課金中。
趣味はアニメと漫画と小説と映画と神社仏閣・美術館巡り、遠征にも行きたい。

通夜・葬式で飛び交う色々な話

通夜・葬儀・初七日が終わり

祖母の葬儀が終わり、ぐでっとしています。
葬儀の日は曇りの予報だったのが、一転快晴となり、
街路樹の緑もきらきらと美しくて、爽やかな旅立ちの日となりました。


お通夜や葬儀前の控室では、
久しぶりに会った親戚たちと話に花が咲いて、
思いがけず楽しい時間を過ごすことができ。


祖母がこの世を去ってしまったという寂しい気持ちも、
賑やかなおしゃべりや爽やかな風と共に、
さらさらときれいに流れていったような気がします。


うちのご先祖様は平家の落人?

お通夜の時の親族の話だと、
うちの遠いご先祖様は平家の落人なのだそうです。


家系図とか古文書とかがあるわけではないので、
定かではないようなのですが、
京都から、まぁそこそこ? 近い山奥も山奥、
昭和の初めくらいまでは恐らく、
おいそれとは外から人がやってこられなかったような、
非常に奥まった場所にある小さな集落に、十何世帯かで住んでいました。


それと関係があるのかどうかは全然分かりませんが、
祖母の二代前、私からするとひいひいじいちゃんという繋がりの人は、
明治の終わり頃に刀を差して、浪人よろしく暴れ回っていた人だそうで。
(廃刀令もなんのその、みたいな?)


「えぇ!? どういうこと???」
「つまりヤクザかなんかだったの?」
「詳しく知るためにもNHKのファミリーヒストリーで特集してもらいたいね!」
「いや、やめておけ。知らんほうがいい黒歴史が暴かれるだけだ」


と、私たち孫世代が騒然となるような、なかなかに興味深い話が聞けました。


苦労した祖母の話

※記憶違いがあったので書き直している部分があります
両親を早くに亡くしたという祖母は、
母親代わりのおば(母親の姉妹?)に育てられたとのこと。


上に姉と兄がいたのですが、
頼りにしていた兄は戦争で亡くなり。


姉は嫁ぎ先に入った後、
男の子を生んでから亡くなったため、
祖母はその甥っ子を母親代わりになって育てました。


長じては大阪に出稼ぎに行くなどしていた甥っ子は、
若くして大病を患い。


何とか助かってほしいと、
当時のお金で5千円ほど(今だと1千万くらい?)を
病院に支払ったものの、結局亡くなってしまいました。


姉も兄も甥っ子も亡くした祖母は、
お婿さんをもらう形で家を継いだそうです。


しかしそのお婿さんも、出稼ぎ先で
頭上から落ちてきた大きなコンクリートの塊の下敷きとなり即死。
夫を亡くした祖母は、個人病院で住み込みのお手伝いさんをしたり、
農業をしながら会社員として働いて、幼い子ども4人を女手ひとつで育て上げました。


その後、子どもたちが巣立っていき、
幼い頃から知っていた親戚の男性(私からすると義理の祖父ですね)と再婚、
生まれ育った山奥の集落を出て、遠く離れた島へと嫁いだのですが、
義理の祖父は前妻を、一緒に漁に出ていた最中の事故で亡くしていて。


そのことで義理の祖父は実の娘さんから
「お母さんを殺したのはお父さんだ!」とひどくなじられていたのだそうです。
そこに再婚で嫁いできた祖母も当然のように攻撃対象となったようで、
かなりひどくいじめられたらしく、祖母は島を2度脱出。


そういえば、私がまだ小さい子どもだった頃、
祖母が突然家にやってきて、数か月一緒に暮らしたのを覚えています。
優しい祖母が毎日家にいてくれるので、とても嬉しかったなぁ。


でも結局、祖母は島に戻ってしまい。
その後の3度目の脱出時は、
途中で義理の祖父に見つかってしまい、連れ戻されたとのこと。


島には祖母が脱出する際の協力者がいて、それは義理の祖父の義理の姉で。


(この辺も色々事情が複雑。昔は早世した人が多く、連れ子や養子がいっぱい。)


祖母はその人のことを「ねぇちゃん、ねぇちゃん」と親しげに呼んでいて、
とても仲良さそうだったのですが、ナルホド、そういう経緯があったのねと、
大人になった今、初めて色々知ることになりました。


しかし、再婚後40年という長い月日を過ごした島でしたが、
義理の祖父が亡くなった途端、件の義理の祖父の実の娘から、
「100日経ったら家から出ていけ!」とあえなく追い出され、
離れて暮らしていた実子に引き取れられる形で
最晩年を私たちと一緒に暮らすことになったのでした。


義理の祖父の介護と看取りはもちろん、
誰だか繋がりのよく分からない(本当に色々と複雑)
超高齢女性のお世話や介護も長らくしていた祖母なのに……。


近所の人たちには可愛がられ、とても仲が良かったので、
急に島を出ていかなければならなくなって寂しかっただろうな。


「自分達がもう少し若かったら、うちで面倒を見たのだけど……」
と言ってくださるご近所さんもいたのだけれど、
でも皆さん、祖母と同じく後期高齢者、色々な面で無理は出来ないお年頃で。


本当に、波乱万丈な人生だったね、ばーちゃん……。


このあとは四十九日

四十九日にも、親族親戚が集まって法要を行う予定です。
こうやってみんなの顔を見られるのも、祖母のお陰。
また楽しく話ができたらいいなと思っています。


しかし、祖母の長い長い波乱万丈な人生も、
私が死ねば次に語り継ぐ人はもう誰もいなくて、
どんな苦しみも怒りも、悲しみも喜びも、すべて霞のように消え去っていきます。


蓮如上人の『白骨の章』そのものですね。
人生って、過ぎてみれば一瞬で、本当に儚いもの。


夜、布団に入ると、一体何のために人間って存在しているのかなと、
まるで小学5年生くらいの頃に戻ったような気持ちになってしまって、
眠れそうにないなぁと思ったのに何故か10時間くらい爆睡してしまいました。


体力がないと、
物思いに耽って「まんじりともせず夜を明かす」ことすらできませんね。
アラフォーだもの、しょうがないか……。

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