そんなに長生きしたくない

重症アトピー&介護経験ありで地方住み実家暮らしの40代独身・微収入フリーター。
長生きしたくないけど少ない収入からこつこつ貯金……のはずが現在ソシャゲの最推しに課金中。
趣味はアニメと漫画と小説と映画と神社仏閣・美術館巡り、遠征にも行きたい。

身内の他界に、何故か現れる幸運の印

お見舞いが一度もできなかったコロナ禍での入院

祖母が亡くなりました。
93歳は長生きでしたよね。


ある日突然歩けなくなり、
その直後から1年と2カ月も続いた長い入院生活でしたが、
このコロナ禍で、お見舞いには一度も行けず。
きっと寂しい思いをしていたんじゃないかと思うと、それだけが心残りです。
話ができるうちに、ちょっとだけでもいいから会いたかったな。


葬儀場の小部屋に安置された祖母は、
今にも目を開くのではないかと思える、ただ眠っているだけのような姿でした。


ラッキーナンバーと幸運の爪の白斑

祖母が亡くなる1週間ほど前からずっと、
『22』『222』『2222』という、2並びの数字がよく目に入っていました。
2並びは私のラッキーナンバーです。
エンジェルナンバーとも言うのかな?


一体何だろうとずっと思っていたのですが、
祖母の他界の知らせを聞いてから、ぱったりと見なくなりました。


そういえば数年前、同居していた祖父が亡くなる時も、
1か月ほど前くらいから親指の爪に、
『幸運の印』とされている白斑が現われていて、
その時も「これはなんだろう」って、ずっと思っていたんですよね。


手相を見る占い師さんには、
「私、これは初めて見ました!」なんて言われたりもして。
その白斑が消える頃、祖父の訃報を聞きました。


どうしてラッキーナンバーや幸運を示す白斑が、
身内が亡くなる前に現れるのだろう。


確かに、60代前半で認知症になった母方の祖父の介護は20年ほど続いていて、
正直、亡くなって悲しいという思いはほとんどなく、
ホッとした、という気持ちのほうが強かったです。


先日亡くなった祖母(こちらは父方)についても、
10年前の秋に引き取り同居が始まってからずっと、
「早くお迎えが来てほしい」とばかり言っていましたし、
今頃は父方の祖父にお迎えに来てもらっているんじゃないかな、
なんて、ちょっと微笑ましく思っていたりして。


でも、身内の他界を喜んだりっていうのは、絶対ないわけで。
ホッとはしたけど、喜んでなんていないし、もう会えないのはとても寂しいです。


特に母方祖父の場合は、徘徊や暴言、物盗られ妄想に加え、
当時は私の持病が重症化していて、
夜は持病で、昼は見守り介護でまったく眠ることができず、
長い間、散々に苦しんだわけなのですが、それでも。


ラッキーナンバーや幸運の印なんて、
なんか全然そぐわないよこの場面に、って、
どうしても「何故? なんで???」と不思議に思ってしまうんですよね。


きっと、あの世に生まれ出る祝福

で、色々考えてみた結果、
2並びのラッキーナンバーも爪の幸運の白斑も、
「大往生だよ、安心してね」
の合図なんじゃないかな、と思うようにしました。


寿命を迎えての死は、こちら側から見れば悲しく寂しいことだけれど、
あちら側から見れば、今まさにあの世に生まれいでる誕生の瞬間なのだと聞きます。


スピリチュアル系の本なんかでは、あの世のたくさんの縁ある魂たちから、
「よく頑張ったね、お帰りなさい!」
と、笑顔で温かく迎え入れられるのだと書いてあったりもします。


だから多分、
母方祖父や父方祖母が亡くなる前に現れていたあの幸運の印たちは、
「ばーちゃんは、すごく頑張ってきたご褒美に天国や極楽に行けるんですよ」
「じーちゃんはこの世でのお勤めを見事果たし、あの世に大手を振って帰れますよ」
っていうサインなんだと思うんですよね。


そう思ったら、サーッと霧が晴れた気持ちになりました。
そっかー、ばーちゃんは天国か極楽に行くのか。
じーちゃんも今、あの世満喫中なんだね。
良かったなぁ、なんて。


そんな風に思うことにします。

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