そんなに長生きしたくない

重症アトピー&介護経験ありで地方住み実家暮らしの40代独身・微収入フリーター。
長生きしたくないけど少ない収入からこつこつ貯金……のはずが現在ソシャゲの最推しに課金中。
趣味はアニメと漫画と小説と映画と神社仏閣・美術館巡り、遠征にも行きたい。

自ら命を絶ったあとの夢【ホラー画像?注意】

▲お借りした画像は「呪いのちゃぶ台返し」だそう。

夢の話です

定期的に死にたくなる

もう30年ぐらい治らない病気と共生してるせいか、
何かきっかけがあると、
どうしても自死願望が出てきてしまいます。


この先、目が見えなくなる可能性もあるし、
持病が悪化し続けたり、
アレルギー症状等が新たに出てきたりして、
以前のように病に苦しみながらの寝たきりになる可能性もあるし、
そもそも、普通に働くことが難しいので、困窮する可能性もかなり高く。


それに、今やっている食事療法は
効果があることを医療界にほぼ認められていないし、
もちろん一般にも伝わっていないので、
高齢になって認知症になり施設に入ったりすると
あっという間に持病をコントロールできなくなるだろうなと。


自分では一切何ともできない状態と状況で
あの地獄の苦しみに死ぬまで見舞われる可能性もまた、非常に高くて。


それを考えると
「ああもう、ホントに死にたい……」
って言葉が口癖になるほど自殺願望が出てきてしまうんですよね。


今はまだ、家族と一緒に暮らしているので気分も紛れるけれど、
これがひとりになった日には、一体どうなるか……。


以前、猛烈に死にたくなったのは2012年夏

2012年夏は、食事療法に出会う前で
今よりも持病の症状がかなりひどく、
さらに夏風邪まで引いてしまって、
37.2~37.6度の熱が1カ月以上続いていました。


怠いし不安だし、
真夏で暑い上に熱が出てるのでさらに熱くて全然眠れないし、
おまけに仕事もないわで(これが一番大きかったかも)、
将来に絶望して死にたくなって、
「自殺 方法」とかでネット検索しまくっていたのです。


その時、
さまざまな「自殺はしてはいけない」系のブログ記事が出てきて、
「分かってるけどさぁ……」
と思いながら読んでいると、
そのうちに桜井識子さんのブログ『さくら識日記』がヒットしました。


ブログをちらちらと読んでいたら、
「このブログ主さん、霊感があったり神様仏様と話せる人なんだ」
と思ったと同時に、
「書いてあることがなんだかおもしろいぞ?」
と感じて自殺に関する記事以外のところも読んでみると、
第一印象通り、どの記事もとても興味深くおもしろくて。


数日かけてほとんどの記事を読み尽くし、
その頃には自殺願望はまだ消えてはいなかったものの、
「今度、神社とお寺にお参りに行ってこよう!」
と、なんだか楽しいようなワクワクするような、そんな気持ちになっていて、
自殺はとりあえず思い留まったのです。


その後、自宅近くのお寺に時々通うようになり。
(小さいけれど、すごく雰囲気の良いお寺なんですよね。
 曇りや雨の日でも境内が明るい感じがするのです。)


そこから、2年後のこちらの記事へと繋がっていくのでした。



そして10年後の2022年春

この10年の間に、
低単価ではありますが在宅でできる仕事を見つけ、
田舎暮らしでは必須の車の免許も何とか取り、
持病を安定させる食事療法にも出会ったことで、
自殺願望はだいぶ落ち着いていました。


ところが。
2020年12月頃から、持病がスッキリ寛解しないのは
新鮮な植物油を取る量が少ないのではないかと考え、
これまでの接種量の大さじ半分から大さじ1に変えてみたところ、
3カ月ほど経過した頃から見る間に悪化。


植物油を元の量に減らしてみたものの、
2月~7月まで増悪(ぞうあく)、8月~11月まで多少寛解、
といった感じの低空飛行状態になり、
今年に入ってからはさらに悪化した状態になってしまいました。


持病の増悪に伴って原因不明の目の痛みも出てきてしまい、
(眼科に行っても特に異常なしと診断される)
そうなるともう、自殺願望が加速してしまって。


今年1月後半頃からは、
「こんなのを繰り返すばかりの人生なら、死んだほうが絶対楽……!」
と思うようになっていました。


どの宗教でも「自殺は絶対ダメ」と言ってるけど、
「自殺したら、死後もっと苦しい目に遭うことになる」
なんていう話もよく聞くけれど、
そんなの本当かどうかも分からないでしょ?
死んだら無になるだけかもしれないのに。
なんでこんな苦しい思いしてまで生きなきゃいけないんだ。
死ぬより生きるほうがずっと苦しいじゃないか。


毎日毎日、ずっとそんなことばかり考えていたんですよね。


3カ月ぶりの神社仏閣巡り

話はちょっと変わりますが、
昨年12月半ばから体調がひどく悪化していたのと、
冬の間はけっこうな量の雪が降るということも相まって、
毎月1回の神社仏閣巡りが全然できていませんでした。


今年の3月末頃になると体調も少し良くなってきていて、
さすがにお参りに行かないと……と、
3カ月ぶりにいつも通っている2寺5社へ。


体はちょっと辛かったのですが、
天気も良くて、久々の外出はとても楽しく、
お参りのあとは新しくできた商業施設などにも寄ったりして、
良い気分になって帰宅しました。


それでも、「死にたい」という気持ちはなかなか晴れなくて……
そしてその数日後、夢を見たのです。


自ら命を絶ったあとの夢


ふと気が付くと、私は自分の部屋にいるのですが、
畳敷きのその部屋にはベッドも机も本棚もなく、ガランとしていました。


夢の中の私は、自分が自殺に成功したことを知っていて、
体のどこも、痛くも痒くも苦しくもないのを感じて喜びます。
「やっとあの苦しみから解放されたんだ!」
心底そう思いました。


ガランとした部屋の中は、窓から光が差していて明るく、
暑くも寒くもない、居心地の良い空間になっていて、
私はその部屋の中央あたりに安らいだ気持ちで正座しています。


「自殺したあとって大変な苦しみに襲われるというけれど、そんなことなかったな」
そう思いながら、ボーッと座っている私。


ところが、いつもだったら感じるはずの同居家族の気配が、
何故だかまったく感じられません。
通りに面した窓の向こうから聞こえてくるはずの、
車の音や子供の声も一切聞こえてこず。
まったく無音の世界です。


すると唐突に、猛烈な寂しさと焦燥感が襲ってきました。
「自殺した私を迎えに来てくれる人は誰もいない」
「自殺の罰として、どうしてこんな人生を歩むことになったのかを教えてもらえる機会はもう訪れない」
そんな言葉が頭の中に飛び込んできたのです。


人は天寿を全うしてあの世に戻ると、そこで指導係のような人に
何故こういった人生を歩むことになったのかを教えてもらえるらしく、
私もそれをぜひ知りたいと思っていました。


ですが自殺してしまうと、
罰としてそういったことは教えてもらえなくなるっぽい。


私は、自分がどうしてこんな病気を持って生まれてきて、
病身でありながら十数年間、
ロクに眠ることもできず認知症の家族の介護をし、
発症から何十年もの間、苦しんで苦しんで生きる羽目になったのか、
その理由を知ることもできず。


今後の何十年間をこのガランとした和室の中でたったひとり、
孤独に過ごさなくてはならなくなったことに気づき、
「大変なことをしてしまった……でもどうしよう、もう取り返しがつかない――」
そう思い至ると同時に背筋がゾッと冷たくなって、
もう死んでいるはずなのに、全身から冷や汗が噴き出してきて……


そこで目が覚めたのでした。


今は落ち着いてきています

目覚めた直後は、
「分かってるよ! 自殺はダメだって……でも、でもさぁ!」
「つらいんだから仕方ないじゃん! なりたくて病気になったわけじゃないじゃん!」
と、布団の中でジタバタしていたのですが、
夢を見てから3週間ほどが経った今では、
口癖のようになっていた「死にたい」という言葉がまったく出てこなくなりました。


体調が少しずつですが良くなっていることも大きいのかも?
ただ、持病は治りませんし、目のことも、将来的にどうなるか分からないので、
根本的な問題は解決していないんですけどね。


本気で自殺を考え始めると、
そのたびに何だかよく分からないものから引き戻される感じがあって、
それで毎度有耶無耶になっているので、ちょっと不思議だなと思っています。


しかし、いくら病気が苦しくても自殺はしないほうがいい。
それは分かってはいるものの……この先もまた、
事あるごとに死の誘惑に引っ張られそうだなぁとは思う次第です。

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